桐島聡は広島県出身で6人家族だった!出身高校と大学は?指名手配犯になる前の人生

桐島聡生い立ち

桐島聡容疑者と名乗る男が2024年1月29日、入院先の病院で死亡しました。

現在DNA鑑定中ですが、当事者しか知り得ない情報を語っていたことや身体的特徴から桐島聡であったのではないかと言われています。

事件から50年経ち浮上した桐島聡という人物の

  • 桐島聡の家族構成、生い立ち
  • 高校時代
  • 大学時代

について調査したいと思います。

目次

桐島聡の家族構成、生い立ち

桐島聡

【桐島聡プロフィール】

名前:桐島聡(きりしま さとし)

生年月日:1954年1月9日(享年70歳)

出身:広島県深安郡神辺町(現・福山市)

家族:父、母、姉2人、弟1人

高校:広島県立尾道北高等学校卒業

大学:明治学院大学法学部に進学

身体的特徴:身長は160cm位で強度の近視

家族構成は6人、名家出身、親族は遺体引き取りを拒否

桐島家聡の生家は、広島県(現)福山市内にあり、地元では一目置かれる家柄だったそうです。

  • 曾祖父・祖父:村議会議員、町議会議員を務める
  • 父:農林省(現農林水産省)の地方議員

情報源:福井惇著『狼・さそり・大地の牙』より

兄弟は桐島聡容疑者を含め4人。長女、次女、桐島聡容疑者、次男、の順番だったので、姉が2人と弟が1人いたことになります。

桐島聡容疑者と名乗る男の鑑定のために、親族からのDNA提供が必要でした。桐島聡容疑者の二人の兄弟の方がDNA提供をしたそうなので、少なくとも3人のうち2人の兄弟はご存命ということになります。

両親の生死については明らかではありませんが、70歳の桐島聡容疑者の親なのでおそらく90歳代後半より上の年齢なので亡くなっているとも思われます。

桐島聡の遺体の引き取りを親族は拒否との報道されました。50年前、逃亡をする直前に父親あてに電話をして以来、全く実家とは音信不通だったそうです。

桐島家から重要指名手配犯が出た後のご家族に降りかかった苦労は、想像もできないほどだったことでしょう。

親族はこれまで、桐島容疑者との関係を周囲から問われることがたびたびあったという。
「50年も逃げ続けたのなら偽名のままでよかったのに」と語気を強めた。

引用元:日刊スポーツ

交番には指名手配のポスターは貼られ続けてはいましたが、世間からは風化しつつあったような過去の事件。桐島聡容疑者が自ら名乗ったことにより、家族にとっては眠った虎の子が目を覚ましてしまったと思うのも無理はありません。

そもそも桐島聡かどうかの鑑定結果も出る前で、50年間姿を消していた相手の遺体引き取りを拒否する心情は当然かもしれません。

桐島聡の高校時代

卒業アルバムより

桐島聡の出身高校は広島県立尾道北高等学校です。

【高校時代の同級生からみた桐島聡の当時の記憶と印象】

  • おとなしいタイプ
  • 人を引っ張っていくよりも追いかけるタイプ
  • 人から影響を受けやすい、染まりやすいタイプ
  • 政治の話は全くしなかった。大学に進学してから興味をもったのかも
  • 高校3年で車の免許をとった

人から影響を受けやすいタイプという言葉が印象的です。

染まりやすいタイプの人は、周囲にどういう人がいるかとても大事です。後に大学で出会った人物を含めた当時の環境にかなり翻弄されたのでしょう。

桐島聡の大学時代

高校卒業後は上京し、明治学院大学法学部に進学します。

明治学院大学にはいくつかキャンパスがありますが、1970年代法学部があったのは白金キャンパスです。

住所:東京都港区白金台1-2-37


桐島聡は指名手配され逃亡を開始する直前まで、新宿歌舞伎町にある飲食店でアルバイトをしていました。
大学も港区であるため、学生時代は東京都心部に近い場所で下宿生活をしていたと思われます。

大学入学後直後は映画研究会、同和研究会に所属しますがすぐに退部。日雇い労働者らが東京都や台東区を相手に繰り広げた闘争に参加し、徐々に没頭していきました。

その後、各大学の学生が結集して結成した学生運動の中心的存在となる全共闘に共感し、東アジア反日武装戦線に参加することへと発展していきました。

大学在学中に指名手配され、逃亡生活を開始したため、明治学院大学は退学、または除籍処分になったと思われ、卒業はしていません。

指名手配された直後、東京で交友関係があった人の多くに捜査が及んだそうです。

特に東京にいた同級生は相当やられた。警察・公安含めだろうけど。相当マークされて、就職を棒にふったやつとか、内定消されたやつとかいっぱいいる。恨みつらみがあるやつもいる」

FNNプライムオンラインより。東京の大学時代に桐島聡と再会した同郷の男性の話

まとめ

地元の広島県にいた間はいたって普通の少年であったような印象です。もし彼が東京に進学せず、違う環境で生きていたら危険な思想に染まっただろうか?と思います。

指名手配され50年間逃亡してきた人にも親族がいて、その方たちはずっと「桐島聡の家族」という世間の目に苦しんで生きてこられたことは胸が痛みます。

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