五十嵐カノアの両親の職業は?出身や家族構成、子育ての秘訣も調査!

五十嵐一家

サーフィン日本代表として、日本の誇りの五十嵐カノアさん。

勉強もできて人柄もすばらしいカノアさんを育てたご両親てどんな人だろうと気になりませんか?

お二人とも純日本人で、結婚してからアメリカに移住されたようです。

海外移住となると特に気になるのが、どんな職業で生活し、どう子育てしてきたのかということです。

そこで今回は五十嵐カノアさんのご両親にフォーカスして、

  • 五十嵐カノアの両親の家族構成、出身や現在の職業
  • 五十嵐カノアの両親の米国移住当時の職業
  • 五十嵐カノアの両親の子育ての秘訣は?

こちらについてまとめたいと思います。

目次

五十嵐カノアの両親の家族構成、出身や現在の職業

五十嵐一家

家族構成

五十嵐家は4人家族でとても仲の良い一家です。

父:五十嵐勉

母:五十嵐ミサ

長男:五十嵐カノア(26)

次男:五十嵐キアヌ(21)

キアヌさんも既にプロサーファー。でも兄のカノアさんとは性格が全然違うそうです。

カノアさんはまじめで努力家。

キアヌさんは人懐こくて楽しい方がいい!というタイプ。

いわゆる長男気質と次男気質そのままの兄弟というかんじです。

全体的に五十嵐家は

慎重派

  • ミサさん
  • カノアさん

アバウト派

  • 勉さん
  • キアヌさん

なのだそうです。バランスがいいですね!

父・五十嵐勉さんの出身や現在の職業などプロフィール

五十嵐勉
  • 名前:五十嵐勉(いがらし つとむ)
  • アメリカでの愛称:Tom トム
  • 生年:1964年(2024年4月現在 59歳)
  • 出身:千葉県
  • 国籍:日本
  • 現住所:アメリカカリフォルニア州ハンティントンビーチ
  • 職業:デザイナー、フォトグラファー、五十嵐カノアのマネージャー

現在、五十嵐勉さんはウェットスーツブランドのLEXOLとコラボしており、

LEXOLホームページでは職業は

OCCUPATION | Designer, Photographar, Manager (Kanoa Igarashi)

LEXOL

デザイナー、フォトグラファー、五十嵐カノアのマネージャー

と記されています。

LEXOLでは、息子のカノアさんの世界ツアーに五十嵐勉さんが帯同した際、

撮りおさめた写真をデザインに落とし込んだTシャツが販売されています。

コラボTシャツ
LEXOL

「LEXOL Wetsuits × Tom Igarashi」と、五十嵐勉さんの直筆(?)がデザインされています。

現在、五十嵐勉さんはカノアさんの試合の多くに帯同し世界中を飛び回っているので、

  • 時間的に自由がきいて、
  • 世界各地を訪れてインスパイアされたものをデザイン/商品化するようなビジネス

を主にされているようです。

サーフブランドとのコラボが多く、2019年には『INSP(インスピ)』とのコラボでタオルが製品化されていました。

コラボタオル

母・五十嵐ミサさんの出身や現在の職業などプロフィール

五十嵐ミサ
  • 名前:五十嵐ミサ(いがらし みさ)
  • 生年:1963年(2024年4月現在60歳)
  • 出身:東京
  • 国籍:日本 
  • 現住所:アメリカカリフォルニア州ハンティントンビーチ
  • 職業:フィットネスインストラクター、五十嵐カノア・キアヌのマネージャー
  • 資格・免許:調理師免許

母親の五十嵐ミサさんのインスタグラムでは「フィットネスインストラクター」と記されていますが、

現在生活の最優先事項は息子たちのサポート、遠征に同行して応援することのようです。

もしかすると単発で依頼があればフィットネスインストラクターをすることもあるのかもしれません。

アスリートの息子達のサポートには最適の、調理師免許をもっているそうですよ。

酵素玄米に野菜たっぷりのキーマカレー。

美味しそうだしヘルシーですね~

五十嵐カノアの両親の米国移住当時の職業

五十嵐勉さんとミサさんは、日本からアメリカに移住した日系1世の夫婦です。

今でこそ息子の五十嵐カノアさんは世界的に有名で、

多くのスポンサーが付いて年収も億単位と言われています。

しかしここに至るまでは苦労の連続。

お二人がどのような職業を経て現在に至るのかを見ていきましょう。

アメリカ移住前は2人ともフィットネスジム所属のインストラクターだった

【五十嵐勉さんが結婚するまで】

  • 中2でサーフィンを始める
  • フィットネスインストラクター養成学校に通う(➡妻と出会う)
  • 都内の会員制フィットネスジムでインストラクターとして働く
  • 26歳で結婚

【五十嵐ミサさんが結婚するまで】

  • 高校生の時に姉の影響でサーフィンを始める➡サーフィンのために全身を鍛えるためエアロビクスを始めてハマる
  • 20歳から4年間オーストラリアとロサンゼルスに留学(フィットネスインストラクターを学ぶため)
  • 24歳帰国後、インストラクター養成学校に通う(➡夫と出会う)
  • 都内フィットネスジムでインストラクターとして働く
  • 27歳で結婚

アメリカ移住後の職業

2人は1990年に結婚します。(勉さん26歳、ミサさん27歳)

元々妻のミサさんが海外で子育てをしたいという夢を持っていました。

30代に入り、そろそろ子供もほしいとなった時期に、行くなら今だ、とミサさんが主導権をとる形でアメリカ移住計画に踏み出します。

夫婦で思い描いたアメリカでのビジネス計画は、

ハリウッドで

  • フィットネスウェアをデザインして日本に販売
  • フィットネスを学びに来るインストラクター向けの宿泊施設経営

というものでした。

1995年、いざアメリカ移住開始。最初はハリウッドに住みました。

1995年当時の日本

  • 日本でアメカジブーム
  • 円高(1ドル87円くらい)

この後押しもあって計画したビジネスは初めはうまく行き、アメリカの既成の服も日本に輸出するビジネスにも着手。

移住半年後、幸運にも永住権が取れたため、子供を設けようとなってカノアさんが産まれます。(1997年)

しかし徐々に

日本の不景気が深刻化

日本のフィットネス関連、インストラクターを相手にしたビジネス需要は安定しません。

“But it was far from it. It was a life of struggle,” said Tsutomu, recalling how he struggled to find stable work. For a while, he bought stylish sneakers and shipped them to Japan to make ends meet.

(訳)「(安定した輝く生活からは)ほど遠いものでした。苦悩の人生でした。

オシャレなスニーカーを買って日本に送って売るということで食つないでいました。

Tsutomu did what he could to support his family, driving a limo and working as a tour guide for visitors from Japan.

(訳)リムジンの運転手、日本旅行客のツアーガイドなど、家族を支えるためにできることはなんでもした

asahi.com

苦労はまだ続きます。

But the paychecks stopped coming after the Sept. 11 terrorist attacks in 2001.

asahi.com

2001年9月11日、同時多発テロが発生し、アメリカ全体が不穏な空気に包まれて、とうとう

給料の不払い

の目に遭ってしまいます。

生活を仕切りなおすためにハリウッドから海に近い現在のハンティントンビーチに引っ越して

日本食レストランの店員として働き始めます。

一時安定したものの、息子カノアさんが7歳の時、

車のローンが払えなくなってある夜、誰かが家に来たと思ったら

「払えないなら持ってく」と言って車をレッカーして持ち去ってしまった

という悲しいことが起こりました。

それを見ていた息子のカノアさんに

五十嵐勉

車が壊れたから修理に持ってってもらうんだよ

と嘘を言ったそうです。でもわかっていただろうな、と勉さんは言っています。

もう、涙なしには聞いていられない出来事です。本当に大変な思いをされたんですね。

その後、一時持ち直し、

  • フィットネス関連ビジネス
  • 日本人旅行者対象のサービス提供事業

などの経営もしていましたが、それも

2008年リーマンショック

によって再び立ち行かなくなってしまいました。

身寄りのない移住者という立場

言葉の壁

日米の不景気

これらの波にに飲まれては這い上がり、の連続でした。

五十嵐カノアの両親の子育ての秘訣は?

五十嵐一家

子供は学業優先

学業優先は母親のミサさんが一貫して貫いた教育方針です。

カノアさんは6歳からスポンサーが付いてサーフィンでの頭角を現しています。

しかしそれでも

  1. 1番は学業
  2. その次にサーフィン

サーフィンを理由に勉強をおろそかにしない

このスタイルを崩すことはありませんでした。

カノアさんが高校生になると、さすがに年間の半分以上が大会の遠征で通学が困難になりまが、

中退するどころか、それなら飛び級で卒業してしまおうという選択をして

16歳で高校卒業

します。

現在26歳になったカノアさんは昨年ハーバード大学院に進学して経営学を学び始めました。

圧巻の文武両道は、ミサさんの学業を大事にという教育の賜物でしょうね。

家族の絆で子供をサポート

移住して子育てをする苦労は計り知れないものです。しかし失敗しても、

  • 家族で乗り切る
  • 会話で乗り切る

これを大事にやってきたそうです。

五十嵐ミサ

家族で隠し事もないし、とても会話の多い家庭だと思う。それぞれの事を理解してるからフォローし合っていて、会話から全て成り立っている。喋ることって大切だなと。

苦労続きの移住後生活の中で、希望の光はなんといっても息子のカノアさんのサーフィンでした。

3歳から始めたサーフィンでメキメキと頭角を現し、

カノアさんの実力は順風満帆に伸びていったものの、

実際はアメリカの影の部分である「アジア人差別」はあったと勉さんは言っています。

In surf competitions, victory and defeat are the prerogatives of a panel of judges. It wasn’t easy for a Japanese kid to win in the United States, Tsutomu recalled.

In early years, spectators booed when Kanoa won and let out huge cheers when he lost.

(訳)サーフィンの大会での評価は審判員が握っていて、勝ち負けが左右されることがある。

日本人の子供がアメリカで勝つことは簡単ではなかった。

昔は、カノアが勝つと観客はブーイング、負けると歓喜の声をあげていた。

asahi.com

胸が痛くなる話ですね。

しかし家族一丸となって「前を向こう」と団結していたことで

外野のブーイングに凹むよりも、

もっとサーフィンが上手くなるにはどうしたらいい?

に注力して成長し続けたそうです。

カノアさんのサーフィンが世界レベルだと周知されると、もはやそんなブーイングはなくなりますが、

両親の様々な苦労を見つつも、愛情と期待とサポートを一身に受けてきたカノアさんは

(自身の)サーフィンの成功は家族で勝ち得たもの

と常に言っています。

My dad wanted to be a pro surfer but (he) didn’t make it. If I started representing Japan on the Tour, my whole family was going to represent Japan.”

asahi.com

父は昔、プロサーファーになりたかったけれど、叶わなかった。
僕が日本代表として出場すれば、僕の家族全員で日本代表になれる。

カノアさんはきっとご両親の想いも背負いたくて、日本国籍を選んだのでしょう。

弟のキアヌさんと共に、非常に親思いの優しい息子さん達です。

サンタくん

なんという家族愛…泣ける😭

移住して苦労してきたけれど、今となってはそれが報われたと喜びもひとしおでしょうね。

まとめ:五十嵐カノアの両親の職業は?出身や家族構成、子育ての秘訣も調査!

今回は大活躍する五十嵐カノアさんの一番のサポーターである、両親の五十嵐勉さんと五十嵐ミサさんのたどってきた職業や子育て方針について調査しました。

移住者の1世は、本当に開拓者としての苦労を味わっているのですね。

その苦労を見てきた五十嵐カノアさんにとっては、両親を喜ばせたいという気持ちが大きな原動力になっていると思います。

なんだかじーんとくる話の連続で、五十嵐ファミリーの結束が強い理由がよくわかりました。

カノアさんの活躍を今まで以上に応援したいと思います。

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